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国立大学附属小学校受験を考える、2日目

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中学受験の必然的な過熱

30年以上前、私が育った田舎では、私立小学校はもとより、私立中学校に入る生徒すら極々小数でした。私立小学校に進んだ人達とはまったく接点は持てませんでしたし、公立小学校から私立中学校に進んだ人達は、むしろ幼かった私にとっては「頭は良さそうだけど、少し変わった人達だなぁ」くらいの感覚でした。私は何の疑問も持たずに公立中学校に行き、公立高校に行きました。

ただ、大学受験で浪人し、東京の予備校に通ったとき「この人は頭がいいなぁ、優秀だなぁ」と感じる受験生は、大概が私立か国立中高の卒業生でした。

成人して仕事をするようになり、「この人は優秀だなぁ、仕事ができるなぁ」と感じるような同僚も、半分くらいは私立や国立の小中高のいずれかに関わっているように感じます。

今思えば、私が小学生だった当時、私立小学校や私立中学校に進学を決めた人達は、私や私の両親が想像もしなかったずっとずっと先の景色を見て、将来の絵を描いていたのだなぁと感じます。私の人生は、今でこそ前向きに幸せを感じられるときもありますが、そこに至るまでには人並みに悩みましたし、それなりに努力をして、運も味方したと思います。それでも一歩間違えば、不遇や不満にまみれた、まったく違う人生になっただろうという自覚もあります。もしそうなっていたら、どうやって人生に折り合いをつけられたか分かりませんし、今後そうならない保証もありません。だからこそ、私が感じる私立や国立小中高に関わって学んできた人たちに対する潜在的なコンプレックスや羨望を、我が子には抱かせたくないというエゴもあります。

昨今、中高一貫校の有名大学進学率の上昇が取り沙汰され、私が育った地方でも、公立学校の中高一貫化が進んでいます。東京都内でも、のきなみ中高一貫校の高校募集枠の停止などが広がっています。普通に考えれば、その方が合理的ですし、了解可能な連続性を有していると思います。ただし、その弊害として中学受験の過熱があります。まだ将来のイメージが固まらないような小学生が、親の考え方を主軸として、その激戦に参加せざるを得ない負担があります。一方で、中学受験を経た人達の優秀さも知っているため、その年代にしっかりと能力を琢磨することで、結果的に報われる部分が大きいとも感じています。

そのような状況を含めたうえで我が子を見た時に、親として中学受験にどう向き合うかは、まだ答えを持っていません。ただ、もしも国立大学附属小学校に入学できた場合、そのまま附属の中学校、高等学校に進学できる可能性が高まります。私が未経験で懸念の多い中学受験の混沌を、少しだけ傍観できるのではないかと色気を出したわけです。

不純ではありますが、それが当初、国立小学校受験を考えた入り口でした。

凡々梵

しかし、そうそう話は甘くないようでした。

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